L.サモシの歌唱法と教授法3

更新日:2020年11月8日


2.歌唱のスタイルについて

 欧米における歌唱のクオリテイーはこの百年間ですっかり変わってしまったようである。その変化が良い方に変わったのか,悪い方に変わったのかは意見が異なるかもしれないが,その事実は間違いない。20 世紀初頭から半ばにかけてのクラシック声楽のレコードを聴けば,古いレコーディング技術のノイズにもかかわらず,誰でもその基軸の部分が今日よりヒステリー的でない,優しく,穏やかであった歌唱のクオリテイーを聴くことができる。この優しさは,ピアニシモからフォルティッシモへの完全なダイナミックレンジやレガートからスタッカートまで全ての音楽表現のなかで不変のものである。優美さ,軽さと機敏さは,今日では珍しくなった自発性と直接性の特質と同様に,その時代の歌唱に特徴づけられるものである。同時に,過去の偉大な歌手は,一見容易そうにみえても実は仰天するほどの並外れた熟達と能力を成し遂げたのである。彼らは概して音楽づくりをしていく上で,声の才能とか音量それ自身とは別の多くのものを歌唱の目的としていった。西欧のオペラ愛好家の間では,前世紀の半ば頃から声楽家の資質と技術がそれ以前と明らかに質が落ちてしまったことが通説になっている。例えば指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが抜擢した歌手たちも指揮者の若い頃と晩年とでは共演した歌手の陣容に格段の差が見られるのである。その理由として,ベル・カントを伝える指導者がいなくなったこと,声の芸術を引き出す様式感を持たない指揮者達の出現,音楽より視覚的なものに興味を持つ演出家たちの台頭などが挙げられるだろう。 最近では幸いなことに昔の名歌手たちの CD がドイツ,イタリア,イギリスを中心に復刻されるよう36になって来た。これらが見直される時代が来ることを望むと同時に,おそらく第二次世界大戦前には生きていて,それ以来消え去ってしまったもの,美しく,音楽的で,人間的クオリテイーをもつ自由なる歌唱への道を明白にすることが私たちには重要なことであろう。

 1970 年代の初め,筆者は大学院オペラ科の宮沢縦一先生の授業でイタリアの生んだ名ソプラノ歌手ガリ・クルチの 1920 年代の演唱をレコードで初めて聴いた。そのアリアの歌声は美しくはあったが全く頼りなげであり,テンポもリズムもあいまいで何よりふわふわしていて捕らえどころがなく,気ままに歌っている印象であった。一緒に聴いていた友人たちが「何だこれは!」とでもいうように笑い出してしまったほどだった。ガリ・クルチは我が国でも戦前の SP レコード時代に,テノールのカルーソー,マッコーマック,スキーパとともに非常に人気のあった歌手である。このことは当時私たちが勉強していたことは彼らの世界とは全くかけ離れたところにあったのだと改めて感じさせる。筆者の経験では若い声楽家たちはいまそこで重要と考え,こうでなくてはならないという歌唱の方法に突き進むものであり,他のものを排除していく傾向がある。筆者は大学院修了後,副手,講師として大学に残ったが,声楽技術の抜本的改革が自分の急務と考え,声楽芸術の本場であるイタリア,ドイツ,オーストリアへ留学してその解決を図った。

 筆者がまだこのメトードの創始者であるラヨシュ・サモシ氏に師事して間もない 1974 年秋,師のレッスンの終盤,立った状態でイタリア古典歌曲の Sento nel core を Aussingen(仕上げの歌唱)した時,私の身体はかつてなかったような変化に見舞われた。それはそれまでの私の歌唱,すなわち張りつめた身体とぎこちない呼吸でのものとは全く違った感覚であり,自分ながら驚くほど楽々とした歌唱だった。殆ど自分自身では歌っていないような感覚で,全く抵抗がない状態で,自分の身体から次々と自動的にフレーズが歌い出されたのだった。またある時はレッスンを終えて自宅へ帰ったおり,いつも歌うのが難しいと自分で思っていたオペラアリアなどが殆ど抵抗なく無理なく歌えてしまうのであった。考えてみると生徒がそのレッスンの後に身体の可能性が増して歌唱状態がどんどん向上していくということは,声楽教師の仕事であるレッスンのあるべき姿である。生徒は歌唱を良くしたい,良い声,正しい声で歌えるようになりたいと思ってレッスンに来るのだから,教師は生徒の出ない声を出させ,声を良くし,歌唱を上達させるのが当然の仕事である。このような経験が筆者には新しいものであった。レッスンといえば,生徒自身がその日に歌える限りの声を出し,目立つ発音や発声の欠点を修正されるだけのものが多かった。サモシ父子のように,トータルな身体と精神状態を根本的に変化させることが出来るこのような経験が筆者には東京でもウイーンでもドイツでもイタリアにおいてもまるでなかったのである。師事した教師たちは皆高名で一流と言われた人たちばかりであったにも拘らず。

 さてラヨシュ・サモシ氏の死後,筆者は 1980 年より子息のエドウインに師事した。彼は父の後を継ぎこのメトードを姉ヘッダとともに発展させて来ている。筆者はエドウインのレッスンを受けた後,その時の録音を聴いて全く驚いた経験がある。人は自分では自分の本当の声を聴くことができない。そのことを割り引いたとしても,後から聴いたその録音は,これは全く自分の声ではないと思えるほど上品で,伸びやかで温かく優美な声であった。そのとき筆者はこれこそ自分が以前から捜し求めていたものであるという確信を持った。

 筆者はこのメトードによる演奏と声楽教育を日本で長年にわたり続けてきた。

力に任せて張り切って歌っていく方法でないためもあって,年齢を重ねてもまだ現役で歌うことが出来るし,生徒に対する範唱も十分に出来るのは有難い。声楽教育の面でも殆どの生徒がメトードに理解を示し,良い歌い手として育っているのはこの方法が間違っていないことを実感させる。







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