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L.サモシの歌唱法と教授法5

更新日:2020年11月8日


4 Libero Canto の実践(Practice)について 

(1) レッスンの概要について

 例えばある日のエドウイン・サモシのレッスンは「落ち着きなさい。何もしないで下さい。」から始まる。生徒はピアノを背に教師と互い違いに椅子に腰掛けている。雑念を捨てて精神状態をリラックスさせる。顎を耳の下の関節部分をゆったりした感じで細かく動かす。その動きを決して止めないままで発声を始める。単音で Ja とか Wa,あるいは単に A で音をのばすなど。顎を細かく動かしてはいても呼吸はひたすら落ち着いた状態で,出だしの音が決してはぜて出てこないようにする。出だしの瞬間でそのフレーズ全体の成否が大部分確定してしまうので出だしには細心の注意が必要である。生徒各人はそれぞれ歌唱について様々な癖を持っている。声を突いたり,包んだり,押し上げたり,自分のきれいな声を聴こうとしたり。その癖を取り除くのが正しい道の前提となる。

 舌が口腔の中で固まってしまう傾向もよく見られる。このような場合は舌を口唇より前に出させたまま発声していく。あるいは前に出した舌を左右に振りながら発声させていく。とりわけ顎は最も発声の重要な箇所であり,この部分の弛緩が声を自由にさせる重大なポイントである。上達の度合いによるのだが,透明で軽く歌われ,顎関節が緩んでくると声が身体から離れて浮かび上がる状態になってくる。またサモシは指によるサポートにより,生徒が自分で感得出来ない筋肉の硬さやぎこちなさを解除し,その干渉によって息の流れを正しい方へ追いやるという作業を行う。これは非常に効果的な手段である。

 サモシは生徒の声を一声一声選別し,悪いところは即座に指摘して修正させる。誤りをそのままにすることは正しくない。そして生徒がよいものを積み重ねてそれが習慣になるようにさせるのである。

 ある種の練習ではリスクを恐れず,失敗しても平気という姿勢でメカニズムの開発を行う。例えばメカが重くて高声を出せない生徒のための打開策として敢えて汚い声を出させる場合も多い。それを試みて声が出なくても良い,その練習を続ければ必ず出てくるという確信が教師側にあるので冒険も敢えて行う。

 また一般の声楽教師と違って,氏は発声練習にスケールやアルペジオを使用しない。これらは音型自体が難しいものであるし,音楽的にも無味乾燥のものが多く,胸のうちから湧き出すインスピレーションに欠ける。これは内面を刺激して解きほぐし解放していく役目を果たさない。その代わりにトレーニングに使用するのはイタリア古典歌曲からのフレーズである。イタリアの古典歌曲には旋律と和声が素晴らしいものが多く,格調があってクラシック音楽の基礎となる様式感をよく学ぶことが出来る。また歌詞があるので母音,子音の発音を交えて様々なトレーニングが可能である。これらイタリア古典歌曲から抜粋のフレーズを半音ずつ上げていく練習を組み入れている。このような手順でトレーニングを続けるうちに身体と声が自由になっていく。息を抑えていたものが除かれ軽いメカニズムで歌われると,ますます横隔膜は自発性をもって直接的に感情を表現することになる。レッスンの途中で泣き出したり笑い出したりと様々な反応がよく起こる。そして歌唱と音楽により鋭敏な感覚をもてるようになるのである。

 そしてレッスンの仕上げには Aussingen(実際の歌唱)を行う。レッスン室中をゆっくり歩かせながら歌わせるのであるが,両手を高く挙げたり,時には床に仰向けで歌わせたりと,生徒の身体が硬直しないように指導していく。

(2) 呼吸と姿勢について

マイクの力を借りずに大会場を満たす声をはじめから想定すると,多大な息の量を準備したくなるのが常であるし,安定した歌唱を求めればいきおいしっかりと固定してゆるぎのない支えを持った姿勢がすぐに考えられることであろうが,Libero Canto ではこうした方法は採らない。

下半身はしっかり保って支え保つのではなく,逆に脱力して休ませることが必要である。足を踏ん張らずに伸ばす。特に尻の力を抜く。立って歌うときも床を踏みしめない。この歌い方に慣れるには勇気が要るが,息をせき止めないためには必要なことである。

 前述のドイツ人音声学者 P.・ブルンスはイタリアに赴き,ベル・カント全盛時代当時の名歌手をレントゲンで観察した。その結果驚くべきことに,名歌手は皆,歌う直前に殆ど息を吸っていなかったことがわかったのである 6)。人が普通に吐いたあとでも通常まだ息は残されているものだが「最少の息での歌唱」とは,この「残された息での歌唱」のことである。例えば私たちは日常で「ハッハッハッ」と声高く笑いきったときに,横隔膜の働きによって思いがけない大声を出せる。このときたくさんの息が胸に入っていたならばどうであろうか。いわゆる胸が一杯の状態になり肝心の呼気は自由にならないのである。この「残された息」でもって歌唱を訓練するのである。イタリアには昔から「歌うのに必要な息は花の香りをかぐほどで十分である」という言い方がある。歌唱は息を吸うのでなく吐くことから入るようにして,吸うことに意識がいかないようにする必要がある。息は吸おうとしなくても吐けば入ってくる。

(3) 歌唱の実際について

・あごを軽く上げるべきこと。

 一般に見栄えの点から,歌手はあごを引いている姿勢が良いように思われているが,これは誤りである。 声は息そのものであるから 救急時における気道確保の考えをそのまま用いてみると,被験者を仰向けにしてあごを上げるのが気道確保の基本である。あごを上げれば息は楽になる。実際に声を出しながらあごをゆっくり上げ下げしてみると良い。下向きになったとき声は出なくなるはずである。一流の声楽家は等しくあごを楽に上げて頭を高く保つスタイルで歌っている。

・歌うときに腹部が張り出してこないようにする。

通常自然に息が吐かれれば横隔膜は上に上がるので腹部はそれにつれて中に引っ込むのであるが,人為的に息を止めて支えようとしたり,息を保とうとすると逆に張り出してきて歌唱を複雑で難しいものにしてしまう。

・先に口を動かして発音しない。

 声の出口である口の周辺は発音のために硬く鋭角的な動きをすると,喉頭でうまく出された声であっても即座にストップがかかってしまい,やせて貧弱な,一面的な声になってしまう。口周辺を柔らかく,パッシブな状態での発音にしておけば横隔膜は自然に働いて,いわゆるお腹を使った自然な声となる。

・自分の内側から声を聴かない。

人は自分でただ今出している自分の声を聴くことは生理的に出来ない。聴こうとすると発声器官全体にブレーキがかかってしまい自由に歌えなくなるし声を損なう。自分にいま聞こえている声は実際に他人が聞いている声ではない。したがって良い耳をもった人に指導してもらうこと,客観的に判断できる録音機や鏡を使用することが進歩の近道である。

・声を作ろうとしないこと

 音色をつけようとしたり音を確保しようと狙ったり,声を大きくしようと意図的にやろうとするとうまくいかない。そうした効果が自然に起こるようにさせるのが大事である。また母音を唇で作らない。大きく発音するとその動きによって横隔膜からのエネルギーは途絶えてしまう。歌う前に前もって口を開かないことも同様の理由からしてはならない。

・吐くことをオーヴァーにやらない。むしろ声をせき止めないというように考える方が結果が良い。

・曲の感情的な部分で決して興奮して色々な筋肉の助けを借りようとしないこと。

・高音の直前の音で意識して息を潤沢に使えば後の高音はうまくいくものである。

 これは難しい高音を出そうと緊張すると息が吐けなくなることが起こるからである。また高音の前の音は高音でのしなやかで軽い感じで歌うのが良い。

・日本の声楽曲やオペラの演唱法も Libero Canto の歌唱法できわめて適切に歌うことが出来る。日本の伝統的な歌舞伎,能や義太夫に見られるように喉を詰め,身体を硬直させて発声するいわゆる地声発声は西欧の発声とは極端に差異がある。これは住居や生活空間の違いや気候,湿度に関係することが多いと思われるが,前者は声が身体に付着するのに対して後者は身体から離れ,空間に飛び出して,大きな建物に響きが伝わっていく。昨今の日本の音楽会場が残響をよく考えて建築してあるため,力で押さずに日本語を柔らかく発音する自然な発声でイタリアものドイツもの同様に音楽内容を伝えることが必要である。

・前で歌うという感覚について

顎,口腔,舌などが十分に緩んでいる状態ならば,喉頭で発した喉頭原音は妨げられずに前に出てくる状態になる。これがすなわち前で歌っている感覚である。これを前で歌おうとすると扁平な薄っぺらな余裕のない声になってしまうのである。「前で歌え」と多くの声楽教師は教えるがこれは間違いで,前には発声器官がない。結果としてそのような感覚が来るのである。




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