Domingo の発声法について
サモシSzamosi教授からの警鐘
ドミンゴにはとても音楽の才能があります。 彼は、オーケストラを指揮することもできます。 彼は舞台映えがします。
しかし、彼は歌うときに機能しているものや発声のメカニズムについては何も知りません。
彼は、世界で最高の歌手の1人であるという評判を持っていますので彼には、大いなる権威があります。
歌に関する彼の意見は、一般大衆とプロの世界の両方で権威を持っています。
それでも注意を払うべきであり、彼の意見や公式見解を無批判に受け入れたりそれに盲従したりすべきではありません。
~~Edvin Szamosi~~
プラシド・ドミンゴPlacido Domingo は誰もが知る一世を風靡した有名なテノール歌手です。1960年代後半から最近まで世界各地の大劇場で歌って大きな足跡を残しました。
最近では高音が出なくなってバリトン役を歌ったり、オペラの指揮をしたりと70歳後半でもまだ第一線で 出演し続けています。
私長谷川は1973年ウィーン国立歌劇場で「アイーダ」を3回聴いたのをはじめ、「リゴレット」「トスカ」など日の出の勢いであった彼の圧倒的な歌唱にウイーンの聴衆とともに熱狂したものでした。
しかしながら彼の歌唱は役柄をとらえた熱情的で音楽的なもので喝采を浴びながらも、いつも高音に問題を抱えていたのです。
ラダメスでは最初のアリア「清きアイーダ」のラストのB音を、楽譜に書かれた弱声で歌えず、力まかせにフォルテで試みるも毎回見事に失敗していました。「リゴレット」ではアリア「女心の歌」や重要な聴かせどころの高音でことごとく失敗していました。
以後彼はこの役を歌っていません。
こうした失敗にもめげずにスターダムにのし上がる魅力を持ち合わせたのは、驚異としか言わざるを得ません。
私の先生のエドウィン サモシEdvin Szamosi 氏は 人気絶大のドミンゴの影響力を懸念されて、声楽を志す人たちのためにエッセイを書かれました。
これを私の同輩であるデボラDeborah Carmichaelが英文で発表したものを私に送ってきました。
そして英文学者の田中治生氏のご協力を得て日本語訳を下記にいたしましたので、
注意深くお読み頂けると幸甚です。
~~~本文 ~~~~
このエッセイを書くきっかけは2013年9月9日付けのオーストリアの週刊誌「プロフィール」、No.37に掲載されたプラシド・ドミンゴ及びヨナス・カウフマンとのインタビュー(記事)でした。
はじめに
大多数の歌手、声楽の先生、批評家等は人間の声について、まるでそれが器官であるかの ように語ります。彼らはそれがあたかも物体であるかのように、まるで人が所有物として持っていることができる物であるかのように話します。
人々はこの意味での声が存在しないことを認識していません。
声は、人が歌っている(または話す)時にだけ存在します。
人は声を作る作り出すこと以外、声では何もする事はできません。
音波は咽喉そして口腔から出て行って、外部の空間で球状に拡大します。
声の良し悪しは、声が響く瞬間ではなく、むしろその前の最後の瞬間に決定されます。つまりその音楽に対する情緒的で知的な内容を伴った歌手の想像力で決定されます。
ひとたび声が響き、音の速さ(331メートル/秒)で喉と口腔を離れると、その声を変更することは不可能です。
声が絶えずそこにあって,触れることができるものであり一つの器官であるならば、それは絶えず鳴り響いていることでしょう。
あなたが歌っていないときには声はどこにあるのでしょうか(あるはずなのにないではないですか)。
インタビューより
質問「プロフィール(誌)」:「初心者は、どんな間違いを避けなければ なりませんか?」
ドミンゴ:「類似した声は二つとないので、私はアドバイスをしたくありません。」
ドミンゴは声のことをどうやらまるでそれが人が歌うときに使う器官であるように見ていますが、人が歌うときに使う器官で、あらゆる声は機能が異なるかのように見ているようです。
彼はまた声と歌の違いが分かりません。ドミンゴは、歌うことについて、常に独特な見解を持っていました。
すべての人間は発声器官を所有していて、その解剖学的構造と生理的機能はすべての人間が同じであることを彼は知らないのかあるいは考慮しないのかのどちらかであるように思われます。
発声器官の生理学は、いろいろな声のカテゴリーとは全く無関係です。それは、最も低いバスから最も高いソプラノまで同じことです。
人間は自己を表現したいために歌いますが、喉に「声」(という器官)を持っている人は誰もいないのでこの歌うという行為の「声」を使って起こることはありません。むしろ、私たちは発声器官で歌うのです。
そして、その活動は歌う人の想像力によって導かれて声を作り出します。声を通して、人の内面にあるものが明らかにされ、またすべての人が異なるので声も異なっています。
発声器官の構造とその生理的機能はすべての人々で全く同じではあるけれども、その製品である声は異なります。
ドミンゴのさらに注目すべき発言:
ドミンゴは、腹部の筋肉を訓練して強化するために、彼が下腹部の周りに広い布ベルトを包んでいたという事実についてよく話しました。
彼は腹部を動かすことによってその場所からピアノを移動することができました。彼は、これらの強靭な筋肉で彼の声を強化することができたと言いました。腹の動きでその場所からピアノを移動することができました。彼はこれらの強靭な筋肉で彼の声を強くすることができたと言いました。
腹筋は、発声器官に属しません。歌っている間にその器官を行使するこの方法は、声の器官を傷つけることに他なりません。
Domingoは、Tita Ruffoが同じ方法を彼の練習に使用していたと主張しました。これが真実かどうかはわかりません。いずれにしても、Tita Ruffoはある時点で自分の歌い方が正しくないことに気付き、彼のキャリアの絶頂期に活動を止めました。彼は、聴衆はその時の彼の歌い方、彼の声の響き方、そしてやがて彼の声が衰えたかも知らない時の彼を覚えているはずだと言いました。
しかし、ドミンゴはこの方法で長年にわたって練習してきました。彼は、このような筋肉訓練を歌唱法として、声楽の技法として練習しました。このような理由から彼は大声かつ強烈な声で歌うことができただけだったのです。
このように歌うことは、声帯に無理な力を加えることになります。無理な力は、たとえそれが最小量であっても、歌う時に入り込む余地はありません。それは生理学と相反するものです。
そのような歌い方は、微妙なニュアンスや真正の(音量の強弱としての)ピアノを表現する余地を残しません。
ドミンゴはテノールの高音Cを歌うことができませんでした。
かつて彼が先生になぜこの音を歌えなかったのか尋ねたところ、「頭のよい」その先生は、「ドミンゴは声帯にその音符を持っていない」と言ったのです。
ORF(オーストリアのラジオ局)の会話では、彼はかつて録音中に舌が口から垂れ下がっていることに気づいたと語りました。こういうことが起こらないようにするために、自分自身をチェックできるように鏡を取り付けたりしました。上手くいかないのは何が本当の原因なのかを彼は調べなかっのです。
ドミンゴの声は、自分の練習方法のせいで、時とともに
より小さくなっていきました。
そしてインタビューにおいて、彼はもうテノールの声域を歌うことができないと、彼は言っています。
彼は、現在もっぱらバリトンの役の歌だけを歌います。
プロフィール・インタビューは続きます: プロフィール: 「あなたは、新しいバリトンとして現在、よりリラックスした気分に なっていますか、ドミンゴさん?」 ドミンゴ:「他にも難しい問題があります。 レパートリーは新しいので私はオペラで様々なテノール役の歌を聞いて、テノールの音色を出し、あまり暗くしないことを学ばなければなりませんでした。そうしなければ、すぐ疲れてしまいます。 (おかしなことです!) 私はキャリアの初めバリトンだったのでテノール声域を学ぶのに苦労しましたが、今すぐバリトンには戻れません。 私は今再びバリトンの発声法を学んでいます。
私は声のより低い部分も弱いので、それを強化しなければなりませんし、より多くの圧力を使用し、今まで以上に多彩な音色で演奏しなければなりません。
解説:
1. 歌う際に圧力を加えることは、生理学的に間違っているし有害なので、決して許されるべきではありません!
2. ドミンゴはどのように初めての(テノールの)テクニックを学んだのでしょうか?彼はまたもう一度どのようにバリトンのテクニックを学んでいるのでしょうか?
彼はテノールの声域(すなわちテノールの技術)を学ぶために一生懸命に努力しなければならなかったと言っていますしそして、現在、彼はバリトンの技術を学ばなければならないそうです。
テノールの技術とバリトンの技術の違いとは、一体何でしょうか?
明白なことが一つあります。
それは、声のカテゴリーを決定するのは発声法ではなく、むしろあらゆる人のなかで作用しているホルモンのシステムです。
ホルモンは発声器官の発達の仕方-喉頭のサイズ、声帯の特性その他、つまり、その人が持っているのは女性の声なのか男性の声なのか、そしてさらに、男性女性のそれぞれにおいても、声が高い方が低い方かを決定します。発声法が決定するのは歌っている人の歌がどの程度、生理学的に完璧であるかだけなのです。
ドミンゴにはとても音楽の才能があります。 彼は、オーケストラを指揮することもできます。 彼は舞台映えがします。
しかし、彼は歌うときに機能しているものや発声のメカニズムについては何も知りません。
彼は、世界で最高の歌手の1人であるという評判を持っています。
彼には、大いなる権威があります。
歌に関する彼の意見は、一般大衆とプロの世界の両方で権威を持っています。
それでも注意を払うべきであり、彼の意見や公式見解を無批判に受け入れたりそれに盲従したりすべきではありません。
(了)
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