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Satoshi Hasegawa

L.サモシの脱力声楽メトード1

更新日:2020年11月8日

1.ラヨシュ・サモシと Libero Canto

人間が生まれつき持っている能力を生かし,解放することによって自由に,また優美に歌うことができる方法があります。これは歌唱に伴う様々な重圧や障害を取り除いていく,穏やかでありながらその反面で厳しい方法である。このプロセスでは歌い手は身体と呼吸において,音楽のイメージに敏感になり,シンプルになり,そして純粋 になっていく。そして,表現力豊かな衝動によって,技術的な流暢さが、音楽の可能性を拡げられることの有機的な結果として起こるのです。声は透明になっていきます。そして,音楽と歌う人の核心を露わにするのです。

このメトードは,第二次世界大戦の前にブダペストでラヨシュ・サモシによって最初に開発されました。彼は,これを自由なる歌唱への道(La via al libero canto), Libero Cantoリベロ・カントと名付けました。

ラヨシュ・サモシ Lajos Szamosi(1894~1979)氏はハンガリー生まれでブダペスト,ローマ,ウ イーンで活躍した声楽指導者です。氏はもともと声楽家(テノール)でしたが、ブダペストで 活躍しているうちに,自分が歌唱する際の声の欠陥に気づき,ハンガリーの当時の高名な先生の門 をくぐったがそれを誰も治せなかったのです。それで 1923 年から 30 年の間,ウイーン,ベルリン,ミュ ンヘン,パリ,に旅立ち各地の名だたる声楽教師の教えを受けました。しかしサモシの歌は十分に音楽的で 美しかったので声楽教師達はそのままキャリアを続けていくように彼に勧められただけでした。そこで彼は自分で 問題を解決しようと試みます。当時ミュンヘンに新しく設立された、声とスピーチのための研究所につ いての話を聞きました。ここでは医者と研究者が声の障害を治療する方法を開発していた。発声器官に 障害をもつ多くの人々,即ち歌手,俳優,聖職者,教師たちが助けを求めてきていた研究所です。彼 はその活動を観察する許可をもらいます。そして彼はそこでの研究とその方法が,声楽においてよく歌えな い機能のケースでも,そのうまく行っていない機能を改善することに違いないと確信します。このことがそれから発展 進化していくアプローチへの基本要素となりました。 その後彼はハンガリーに帰国して生徒を教え始め,これらの基本をもって徐々に実際の声楽指導、に慎重に適用し始めたのです。

また彼は同時に各地で可能な限り多くの優れた指揮者,例えば ブルーノ・ワルター,ウイルヘル ム・フルトヴェングラー,エーリッヒ・クライバー, ジークフリート・オックス,オットー・クレン ペラーなどが指揮するコンサートを聴きます。そして彼はその時代最高の歌手たちの特性と態度(姿勢)を吸収しました。例をあげればジークリッド・オネーギン,マリア・イヴォーギュン,フリ ードリッヒ・ショール,テイト・スキーパ, アメリータ・ガリクルチなどです。またしばらくの間 彼はリリー・レーマンのところで勉強しました。そして彼女から多くのことを学びます。すべてこれらの 経験は彼の音楽的,美的な感受性に深く影響して,彼のスタンダードと理想を定めることに役立ってきたのです。つづく


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