先頃、ニューヨークのDebolah Carmicaelがこれを英文で送ってくれました。声楽の根幹である「呼吸について」これほどの内容のものが他にあるでしょうか。正確を期すために田中治生氏に英語からの訳文 をお願いしました。一度に載せきれないので区切りながらご紹介します。
呼吸について エドウイン サモシ 田中 治生 訳 / 長谷川 敏監修 呼吸は技術ではない。 発声(声を出すこと)は技術ではない。 呼吸には技術とかメトードというものはない。 発声にも技術とかメトードというものはない。 呼吸は、生命である。 生命には技術とかメトードというものはない。 人間は生まれた瞬間から呼吸をする能力を持っている。 つまり、人間は生まれた瞬間から声を出す能力を持っている。 しかし、それをどのようにするのかという方法は知らないのだ。 ただそうすることができるだけである。この能力は生まれつきのもので自然発生的なものである。 呼吸は生命である。 呼吸の目的は、有機体中のガスを交換することである。それ故呼吸は2つの側面から成っている。 吸気中に、体は細胞に不可欠な燃料である酸素を取り込む。呼気中に、老廃物である使用済みの酸素、つまり二酸化炭素が体から取り除かれる。 呼吸は生命を支えるために必要不可欠な機能で、意識的な制御によって起こることのない機能である。我々は眠っている間も、意識が無い時でも呼吸する。それ故呼吸の方法は知らなくても呼吸する能力は持っているのである。 生まれた瞬間から人間は声を出す能力を持っているが、それは呼吸する能力を持っているからである。同じことは睡眠中にもあてはまる。同じことは私たちが意識が無い状態にあるとき、そして意識が無くても話すことができるある状況下においてもあてはまる。 声を出す過程には意識が伴わない。声の器官は意識的にコントロールできない。そのために人間はどうやって声を出すかという方法を知らなくても声を出す能力を持っているのである。 この発声の過程は呼吸の過程と同じように意識を伴わないのである。 生命と体の健康を守り、意識的に制御できないこの種の不可欠な機能は、無条件反射と呼ばれている。 無条件反射の動きは意識的に「作り出す」ことはできない。無条件反射は偶発的にしか起こりえない。 このことから、呼吸と発声は教えることなどできないということになる。 私たちは無条件反射の動きが体内で展開するのを観察できる。私たちはその動きに参加する筋肉を観察できるが、「外側」からのみである。私たちは目の前で起こっていることを説明できるが、その場合でも外側からだけである。私たちはまた、見ていること、例えばあくびや瞬きを真似ようとすることはできる。私たちは、実際に多くの歌手がそうやるのだが、人為的に息を吸い込むときに横隔膜を引き下げることはできる。 しかし私たちは、脳や神経組織が反射的な動きを引き起こすインパルス(神経により伝えられる電気的刺激=「指令」)を送るとき、それが与える命令の種類、つまり、それがどのような種類の筋肉の動き、強さ、質、ニュアンスを必要としているのか決定できないし、このうちどれも意識的つまり人為的に行うことはできない。なぜならそれは与えられた状況で常に自然発生的に起こるからである。人為的に作られたインパルスは外見上はあたかも本物のように見えるだけである。 呼吸は延髄によって規制されている。 呼吸は常にその瞬間の特定の肉体的・情緒的状態に適応する。もし私たちが情緒的に落ち着いているか興奮しているかのどちらかの状態の場合、目覚めているか眠っているか、休息しているか動作中か仕事をしているかで呼吸の仕方は異なる。私たちの呼吸のテンポ、深さ、強さ、量は私たちが経験する多くの異なる肉体的、情緒的状態によって異なる。 これらの全ての様々な状態や状況において、私たちの呼吸はその主要な役割、体内のガスの交換を果たさなければならないのである。私たちの呼吸をこれらの全ての状況に意識的に合わせて変えることは不可能であろうし、十分な時間も無いであろう。つづく
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