2013 ウィーンオペラ Werther

更新日:2020年11月8日

マスネ Werther   4月24日/2013   ウイーン国立オペラ

Bertrand de Billy | Dirigent指揮 Andrei Serban | Regie演出 Roberto Alagna | Werther Tae-Joong Yang | Albert Elina Garanca | Charlotte Daniela Fally | Sophie Andreas Hörl | Le Bailli Thomas Ebenstein | Schmidt Hans Peter Kammerer | Johann


ウェルテルでの私の席はBalkon中央の二列目である。このバルコンは普通土地の中流の音楽好きの人達が座る場所である。オペラに馴染んだ人が多いので回りの雰囲気はそれなりにオペラを楽しむ雰囲気で満ちている。


オペラ「ウェルテル」はシャルロットを愛するヴェルテルの苦悩に満ちたストーリーであるが、マスネの音楽は微細なところから強靭なところまでなかなかストーリーに沿ってよく書かれている。しかしイタリアものに比較するとテノールにおいては「オシアンのアリア」、メゾソプラノは「手紙のアリア」以外はなかなか興味と集中が行かないオペラの1つではあった。


ウイーンのオペラのこの舞台と演出は明快で、第一幕から中央に大木を配して、出演者はそれを巡る形で展開する。子供たちの配置やシャルロッテの妹の動きなどしなやかに、効果的であった。ゾフィー役のFallyが演技も歌唱もとてもよく役どころをつかんでいた。

さて、オーケストラは洗練されたフランス音楽を雄弁に物語を紡いでいった。やはり素晴らしい音を出す。指揮者はフランス音楽にかなり精通しているようでこのオペラをとてもよく統率していた。さて肝心のAragnaであった昨日のBeczalaとの違いは、一言で言って野生児っぽくあまり考えずに声を出すタイプ。それはそれなりに明るく、精密さには欠けるもののその分自由さがある。シャルロッテを歌ったGaranciaは長身で品のある姿が良い。声は低声から高声に至るまで万遍なく安定して歌えるし、その演技力、特に身のこなし方がとてもとても巧みである。 Wertherを本当は愛しながら許婚との結婚を選択し,彼を遠ざけた苦悩を後半素晴らしく演じていた。 Aragnaはその自由奔放さが目立ってしまってフレーズの出だしがイージーに出てしまうところである。この不用意さはこれがつもり重ねって落第点にまで集積される。オシアンの歌一「春風よ、なぜ私を目覚めますのか?」のアリアへ入る直前の素晴らしく書かれたレシタチボ をまるで集中力を欠いた上がり切らない声の羅列で歌ってしまった。それでもアリアに入って、オーケストラが入魂の演奏を始めるとさすがに気がしまって流麗な歌唱となって行く。一節の終わりのところでは、オーケストラにやや被ってしまったが良いピアニッシモで場内を魅了した。第二節では気持ちも昂ぶり、ドラマチックに持っていったのだが終章はフォルテで終わったのだがそれでもこの曲については最後まで繊細さを持ち続けてもらいたかった。中央に立って紙片を持ちながらこのアリアを最後まで歌ったのだが、この曲は寄り掛かるなり、スキーパやかつての名テノールがそうしたようにやってように身体を横にして歌った方が効果的な雰囲気なるのではないかと思った。

手紙のアリアでシャルロッテGaranciaは彼とは対照的に,全て計算された自然な演技の中で生き生きと演唱していった。 ウェルテルの愛を拒否してきた葛藤と最後に真の愛を吐露するところは自分の心を抑えられなくなる場面も説得力をもって歌った。

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