ラヨシュ・サモシの教育理論は その実践的な価値に加えて,多くの人々がこれまで回復不能なまでに失われてしまったと信じてきたベル・カントの秘密をおそらくは,ついに我々に明らかにするものだった。
(マッテオ・グリンスキー「ベル・カントの秘密」より)1)
L’Osservatore Romano, No.171, 25 Luglio 1948, Roma
NO.3
2.歌唱のスタイルについて 欧米における歌唱のクオリテイーはこの百年間ですっかり変わってしまったようである。その変化が良い方に変わったのか,悪い方に変わったのかは意見が異なるかもしれないが,その事実は間違いない。20世紀初頭から半ばにかけてのクラシック声楽のレコードを聴けば,古いレコーディング技術のノイズにもかかわらず,誰でもその基軸の部分が今日よりヒステリー的でない,優しく,穏やかであった歌唱のクオリテイーを聴くことができる。この優しさは,ピアニシモからフォルティッシモへの完全なダイナミックレンジやレガートからスタッカートまで全ての音楽表現のなかで不変のものである。優美さ,軽さと機敏さは,今日では珍しくなった自発性と直接性の特質と同様に,その時代の歌唱に特徴づけられるものである。同時に,過去の偉大な歌手は,一見容易そうにみえても実は仰天するほどの並外れた熟達と能力を成し遂げたのである。彼らは概して音楽づくりをしていく上で,声の才能とか音量それ自身とは別の多くのものを歌唱の目的としていった。西欧のオペラ愛好家の間では,前世紀の半ば頃から声楽家の資質と技術がそれ以前と明らかに質が落ちてしまったことが通説になっている。例えば指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが抜擢した歌手たちも指揮者の若い頃と晩年とでは共演した歌手の陣容に格段の差が見られるのである。その理由とし て,ベル・カントを伝える指導者がいなくなったこと,声の芸術を引き出す様式感を持たない指揮者達の出現,音楽より視覚的なものに興味を持つ演出家たちの台頭などが挙げられるだろう。 最近では幸いなことに昔の名歌手たちの CD がドイツ,イタリア,イギリスを中心に復刻されるよう36 になって来た。これらが見直される時代が来ることを望むと同時に,おそらく第二次世界大戦前には生きていて,それ以来消え去ってしまったもの,美しく,音楽的で,人間的クオリテイーをもつ自由なる歌唱への道を明白にすることが私たちには重要なことであろう。
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